もうすぐ1年……。

早いものであれから1年。色々なことが蘇る。
これからは、急速に日々が過ぎていくのだろう。
「夏樹が早くに天国へ旅立ったことは、今はわからないけど何か意味があるんだろう
なぁ」と思うと同時に、「皆に夏樹のこと、段々と忘れられちゃうのかなぁ」とも考えてしまう。
ふとそう思うと、とても寂しくなってしまった。

夏樹との日々は密度がホントに濃い。私の中では永遠に生き続け、また天国で逢えるのを楽しみにしている。
今になって、あの時夏樹が言っていた言葉が鮮明に思い出される。時間が限られていると夏樹は知っていたから、本当に一生懸命語りかけてくれた。

私は一応できることはしたつもりだったが、もっとできただろうと思ってしまう。
もっとああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったと悔いが残る。
「頑張ってくれたね。ありがとう」と、もっとたくさん言ってあげればよかった。
私が「もー、病人はわがまま!」って心の中で思っていたことも、夏樹は全部知っていた。
反省……。
でも、今そんなことくよくよ考える必要はない。だって天国から全部見ていてくれるから。

夏樹の蒔いた種からどんどん芽が出てきている。
ちゃんと水やりして、枯らさないように大切にする、と、改めて決心した。
時々、私は自分に何も価値がないのではないか?と勝手に落ち込む時があるが、バイブルが「私の目にはあなたは高価で尊い」と言ってくれているから、それを信じるようにしている。
暖かい交わりがいつも欲しい。いつも語り合っていたから。
文章で残してくれてありがとう。

飯島寛子

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デート

ある日、タマキの幼稚園だけお休みの日があった。
久しぶりの一人っ子状態。貴重な時間だ。
妙に甘えた喋り方で、朝から部屋の片づけを手伝ってくれる。
「さあ、出かけましょう!」
修理に出した食卓の椅子を引き取りに家具屋へ行き、その後ペットショップへ行く。
どうやら犬を飼いたくて仕方がないようだが、なにせコンドミニアムに住んでいるのでペットは飼えない。
「犬小屋を買ってタマキの部屋にする?」と提案したが、それは嫌のようである。
最後にぬいぐるみのおねだりが始まったが、「ダメ」と言って店を出る。
すると、「もう、ママは嫌だ!」と駄々をこねた。
その後はひたすらドライブ。
しばらくして海が見えてくると機嫌が良くなり、今度は海に行こうと言い出した。
しかし、もちろん却下。でもただでは引き下がらないタマキの気持ちをそらすため、Costco ガソリンに向かいがてら、食べ物の話を切り出した。
「Quiznou's SubかCostcoのピザかホットドッグのどれにしよう?」
「Hot dog! Hot dog!」と大喜び。
ジャンクフードは食べさせたくはないが、時間もないので、まあいいとするか。
ホットドッグとドリンク付で$1.50とピザ1スライス$1.99を買い、「ここで食べる~」と結局Costcoで食べた。
「タマキ、いい子になったねぇ。さっきまで悪い子だったのにねぇ」と、タマキは一歩引いて自分の事を語り出す。
本当にタマキは、ほっておくとよく喋って面白い。
余談だが、双子のヒロとゴロウは言葉が乏しく、説明も「あのね、こうなって、ここ でドーンってなって、キュルーとなってー」と擬音が多い。
コナツは、比較的おとなしい。喋り方は漫画のコナンとか犬夜又の影響を受けている。
さて、その後「アラモアナビーチで自転車!」とタマキが言うので、(タマキの自転車だけはいつも車に積んである)マジックアイランドに向かった。
タマキは、気持ち良さそうにサイクリングに没頭。クリスマスにアップグレードした16インチの補助なし自転車で、風を切りながらすいすい走る。
途中で止まって、「あっ、ゴロウのちゅき(好き)な鳥~」とブンチョウを眺める。

「あっ、あち(足)の長い鳥~」と言い、時々止まって私を待ってくれる。
そのうち私が疲れ、見晴らしのいい場所の芝生の真ん中に立ち、「見えるからぐるっ とまわっておいで!」と言うと、楽しそうに暴走し始めた。
「ママ~、鳥がパーティーちてる」
夏樹の遺灰を散骨したダイヤモンドヘッド沖が見えた。
17年前結婚して、ここオアフ島のマジックアイランドにも撮影に来たことがある。
沈む夕日をバックに水の入ったワイングラスに反射させて、素敵な写真を撮った場所。
今、夏樹によく似た一休さんこと三男タマキと来ている。不思議だな~。
帰りの車の中で、「また、今度ビーチに行きたい。だって、鳥が来たら、たのちい(楽しい)から」と言っていた。

飯島寛子

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決意表明

最近気分が落ち込んでめげそうになる。
色々なことが落ち着いてきて、なんだかガクッと来ることがある。
「なんで、夏樹は目の前にいないの!」
急に何もかもが嫌になり、“何の為に生きているのか~”モードに落ちてしまいそうだ。
あっそうだ!
こんな時のために・・・。

こんな時のために、『寛子の決意表明』というのがあった。
やっぱり夏樹って凄いな~。
良く解っている。
これは、昨年8月日本を経つ前に、夏樹に書かされたもの。
「寛子は、すぐにダラリとだれるから、しっかりと意思を書面に書き留めておくといい。そして、これを壁に貼ってときどき見ること」

内容は、
ハワイへ旅立つに際しての意志。夏樹が天国へ旅立ってしまってからの生活。
遺族年金やら学資保険やら生命保険やら、もし本が売れたら生活の助けになる印税やらといった経済的な事。
働く姿勢を子供に見せること、などなど・・・。

「そうだった。私には4人のお母さんという使命が与えられている。しっかり果たさなくては」と思いなおす。

そして、夏樹が書いてくれた、厚さ1センチくらいの分厚い遺書というか手紙。
かなり細かく面白く書いてくれている。これを時々読み返す。
私って本当に恵まれている未亡人。こんな先のことまで、心配してもらって。
そして、アネゴのEちゃんに言われた言葉。
「皆に感謝の気持ちを忘れない事」
心にしみる。夏樹も私も次男次女で、甘えん坊で人からしてもらった事をすぐに忘れてしまうところがある。
本当に皆に支えられていると再確認した夜だった。

飯島寛子

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偶然出てきたメモ

「この状態で飛行機に乗れるのか?今後の予想。どうしたらいいのか?注意点」と書かれたメモが出てきた。
これは、日本を経つ前の2004年8月に医師に尋ねようとしたメモの一部。

2004年5月、私はおばといっしょに主治医から、「このままだとご主人はあと3カ月くらいじゃないか」と余命宣告を受けた。予想していたことが現実に迫ったこのとき、本当にがっくりして、すぐには夏樹の病室に戻れなかった。
夏樹は日ごろから、病人は孤独が一番辛いから、例えば家族に嘘を吐かれるといった信頼関係が崩れるようなことは一番悲しいと訴えていた。
だから、夏樹にはありのままに本当の事を話さなくてはいけないと思っていた。
でも、このとき、おばが「3カ月という数字は絶対に言うのはやめよう」と言った。
そして、私はそれに従うことにした。

病室に戻った時、明るい顔して夏樹が「どうだった?」と聞いてきた。
「うーん、やっぱり治療の見込みがなくなってきて、このままだと6カ月ないかもしれないって」と嘘を吐いた。
「そうか~。」

それまでは、すべて夏樹も一緒に医師からの説明を聞いていた。そして、気転の利くおばがいつも必ず同席してくれた。私達夫婦だけだとあまりに頼りなくて、医師から聞いたことを理解できなかったり、都合のいいように解釈してしまったり、頭真っ白になり、何をメモしたのかわけがわからなくなる恐れがあるから。
でも、そのときはおばが「主治医の先生は、夏樹の顔を見て絶対に言えないことを抱えているだろう」と事前に感じ、「ちょっと、夏ちゃんも一緒だと言いづらいことを抱えてそうだから、一度寛子ちゃんと2人で話を聞く機会を作ってもいいかしら?」と夏樹に言ったのだ。
夏樹も「そうだね。それがいい」ということで、おばと2人で聞きにいったのである。

主治医の先生は、夏樹と同じ世代で同じ年頃の子供もいるせいか、心を痛めて、いつも目を赤らめていた。
そして案の上、「あと3カ月くらいでしょう」とはっきり言った。
2度の大きな手術を受けたにもかかわらず、癌の病巣がたくさん残っていた。
外科の先生に「ごめんね、何もできなかったよ」と言われ、「そのまま閉めようかと思ったけど、それじゃあまりに可哀相だから、一応大きいのは取ったけど、まだ点々と無数に病巣が残っている。もう好きなことして暮らした方がいい」と言われた。
あの頃は、行う予定だった肝動脈塞栓術の治療もできなくなって、肝臓には効き目の少ない抗がん剤をやってみるかどうするかという話と同時に、ホスピスも考えた方がいいとのことで、何軒が都内のホスピスを見学に行ったりした、精神的に非常に苦しい時期だった。
そして、日本でのホスピス生活を考え始めた時、「日本で最期の時を過すのは、どうも夏樹らしくないね」ということで、グアムに帰ろうかなんて話も出てきた。
早速、友達にグアムのホスピスはどんな感じなのか尋ねてみたら、台風で閉鎖されてしまい、グアムの人は自宅療養か母国に帰るか、ハワイかアメリカ本土のホスピスに行くという話だった。

「そうか~、ハワイか」
「家族で思い出作りに旅行でも行けるうちに行こうか?」
・・・そして、思い切ってコナツが産まれたハワイに行こうという話になったのだ。
しかし私自身は、「海外? 身体大丈夫かな? あと3カ月? 見た目は癌患者に見えない程生き生きして、まだ筋肉も残っているし、本当に今目の前で歩いている夫がいなくなるのか?」と、複雑な思いだった。

そして「この状態で飛行機に乗れるのか?」・・・。
東京の麻薬取締局で書類を作成してもらい、痛み止めのモルヒネを携帯しハワイに飛んだ。
子供たちも学校を2週間休ませた家族旅行。
ところが、それがハワイ移住の下見の旅行になるとは、想像もつかなかった。

がんセンターで隣のベッドにいたRさんに背中を押されたのも大きな理由だと思う。
そして、私一人で将来移住するのは難しいだろうから、今のうちに自分が父親として新しい生活を始める準備をしなくてはとも考えたのだろう。時間も迫っていたから、夏樹は持ち前の行動力でハワイ生活の準備を急ピッチで進めた。
旅行中は、微熱が続き体調もいまひとつ。でも、寝ながらでも電話はできるので、あっちこっち電話して、S子姉の大きな助けによって住まいも学校も決め、車もオーダーして、すべてが短期間に奇跡的に整ってしまったのだった。
そして、もう一度日本へ戻り、抗がん剤治療と日本の家の片付けをして、移住の準備。
ところが、いきなり静脈瘤の破裂で下血。

「この状態で飛行機に乗れるのか?」という状態にまたなってしまった。出発予定日の8月まで、生かされるかどうかもわからないのに、引越しの準備。出発ぎりぎりまで、タマキの保育園の退園届けが出せなった。子供達の学校だって、本当に転校するのかどうか、出発当日までわからなかった。

「本当にこの状態で飛行機に乗れるのか?」
・・・あれからもう1年半が過ぎようとしている。

飯島寛子

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