元気の源

同じコンドミニアムに住む有名なゴスペルフラのお師匠さんが、「夜、子供達が落ち着いたら踊りにきませんか?」と誘ってくれた。
私はちょうど気持ちが弱っていたので、喜んで伺った。
私の約二倍長く生きている先生と私の共通点は、癌で主人を見送った未亡人であること。
「いつくしみ深き」を踊りで賛美しながら、2人で並んで窓に映る姿を見て学ぶ。
何回も踊っているうちに、なんだか嬉しくなってくるので、フラは不思議だ。
夏樹の遺灰を散骨した船の上で踊ってもらった「アロハオエ」の振り付けも習い、「夏樹とフランクさん(先生のご主人)、天国から見ているねっ~」と、夜中の12時まで楽しんでしまった。
私は覚えの悪い生徒の代表だが、とにかくフラから力をもらい嬉しくなるから、これからも続けたいと思っている。
習い始めの頃は、信号待ちの車中でもCDにあわせてフラの手を真似していたが、ある時一緒に車に乗っていた韓国人の他の生徒さんに、「手話を覚えなさい」と言われ、英語の手話の本をプレゼントされた。
これを覚えたら、どんな曲でも振り付けして賛美できるという。感激、感激。

さてさて、私はゴスペルフラで元気を貰っているが、我が子達はどうか?
コナツは、インターネットのコンピューターゲームで世界中の子供達とお話しするのに夢中になっている。
ほとんどがアメリカ本土の子供たちだが、たまに韓国、中国、フランス、スペインの子にも会うそうだ。
このゲームは、悪い言葉など使うとゲームができなくなるものらしく、コナツは「Writingの勉強になるの!ママもキャラクター作ってあげる。髪は何色がいい?」と曰う。
私はもうすでについていけない……。
週3日の「ゲームの日」にこれをやっているが、時々ズルして時間オーバーしている。
双子のヒロ・ゴロは、とにかく戦闘モノが大好きで、鉄砲とか「スターウォーズ」のライトセイバーなどがお気に入り。
良くわからないが、何種類も持っている。
サッカーの練習で近くの公園に行っても、原っぱに寝そべって鉄砲を撃つ真似をしたりする。
男の子達の頭の中が理解できない……。
パパの本の太平洋戦争の本などもパラパラ見ている。
やはり男の本能なのか?
タマキは、とにかく人真似小猿状態。
「パパは大きかったのにね。もっといてほしかったよね」と話し、幼稚園の他の大きいお父さんに走り寄って、抱っこをせがむ。いじけてないで積極的だな~と感心するが、「タマキのパパも大きかったんだよ」とその男性に話しかけると、その男性は「…………」。
お喋りが止まらなくてひとりでずっと喋っている。
まあ、みんなすくすく育っている。
ゴスペルフラも応援してくれてるから、子供たちに負けないよう、私も元気に行こうかな。

飯島寛子

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はじめの1歩

夏樹を見送ってから1年。
日本から来た親戚とごくわずかな友人とで、「夏樹メモリアル」と題した式典を、散骨したダイヤモンドヘッド沖が見える海辺のレストランで行った。
私は、ビーチで海に向かってゴスペルフラを踊った。
アロハオエ――。
水平線の向こうに天国への橋があるのかな。
メモリアルが終わり、おばあちゃんが帰国した。
「おばあちゃん、帰って寂しいね」って、友人がタマキに話しかける。
「うん、さびちい。けど、タマキ、パパがいないのがさびちいんだよ。だって、肩車とかしてほしいし~」
「……」
その後に声をかけたが、慰めの言葉は通用しないタマキだった。
メモリアルの準備をしている時に、子供達に尋ねた。
「どう、パパがいなくて? この1年どうだった?」
「うん? 別に~。パパが死んだ事覚えていない」と、素っ気ないコナツ。
その言葉を鵜呑みにして、私は悲しくなってしまったが、辛いことは思い出したくない、悲しいことは覚えていたくないというコナツの気持ちが、すぐにわかった。
ヒロは「パパのこと少し覚えている」と言葉が乏しかったが、ゴロウは「パパがいなくて寂しいから、いつも楽しい事を考えることにしている」と。
子供たちなりに前向きに考えようとしているんだということがわかった。
タマキは不意に「パパは、ここの中にいるのだよね」と胸を叩いたりもする。
たまには、大人と会話したいけれど、今は子供たちとの時間がとても楽しい。
でも、「そのうち育っていってしまうのが寂しいなぁ~」と子離れできない自分に気がついた。
数年後に子供たちが巣立っていく頃の自分を想像してみて、「私はこのままでいいのか?」という不安と疑問も出てきた。
長い間、子供達との生活に慣れていると、はじめの1歩が出にくい。家でゆっくり子供たちと過ごすのは、「大変~」と突き放したくなるときもあるが、やはり楽しいひと時だから。
でも、家事も満足にできていないのに、外で何かしたくなってしまう自分もいる。
こんな風に、私が何かに心を奪われると、子供たちは敏感に反応する。
無口なコナツでさえも、ヒロ・ゴロがいない時は、「ねぇねぇママー」と色々話しかけてくる。
「みんな、親の注目がほしいのだなあ。可愛いな」
ちょっと年頃になってしまったかなとか思っていたけど、こういう可愛らしさはいつまで続くのかな……。

あれから、1年――。そろそろトンネルを抜けたいな~。

飯島寛子

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10年日記

私の日記帳(というか、出来事記録帳)は、日本でも売っている10年日記帳。
読書好きな義母さんがプレゼントしてくれたものだ。
1993年からつけていて、2000年に改めて新しく1冊をスタートさせた。
1月1日と開けば、10年分の1月1日が縦に並んでいて、ひと目で昨年の今日、一昨年の今日と10年分が見られる。
だから、日記をつけていると、昨年の今頃はどうしていたとひと目でわかる。
昨年を振り返ると、クリスマスから年末年始、ハラハラしどうしだった。
「採血して、また明日輸血しに病院へ行く。」
「夏樹の入院の間、頼まれた買い物リストを片手に買いに行く」などなど……。
もしも、家族全員があのまま日本にいたら、2004年の夏から2005年2月28日まで、夏樹はずっと入院していただろう。
採血の結果は、極度の貧血で医者がとても退院させてくれる数値ではなく、輸血、輸血の連続だっただろう。
ずっと病院で生かされて、子供達ともあまり会えずにいただろう。
最期のクオリティー・オブ・ライフもなかっただろう……。
夏樹は自分の意志でハワイに引越し、身体が辛くても家族の一員でいられたからこそ、部屋の隅で寝ていても、生活の音が心地良く感じられたのだと思う。
最期までこのような環境が与えられて、本当に恵まれていたと、一年経ってつくづく感じる。
夏樹は、まだまだこの世でやることがあったのに逝ってしまった。
でも、幸せな天国行きだったな。
ちょっとたまった日記帳を書きながら、そんなことを思ってしまった。

飯島寛子

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グアム……

『Island Guam』という、グアム島内の観光雑誌がある。
「さようなら飯島夏樹」と、夏樹が表紙を飾っているその雑誌の夏号がグアムから送られてきた。
とっても懐かしいグアムを感じた。
そして、少し感傷的になっていた時、ホノルルマラソンに出場したグアムの友人から「会おう」と電話があった。
でも、実はとっても楽しみに待っていた連絡なのに、急に会うのが恐くなった。
寂しさを感じてしまったのだ。
私は、ちょっと用事があるから、と断った。
何をそんなにいじけているのか――。
ただ、寂しかっただけ。
その時、とても高慢な自分に出会った。
それと同時に、自分を写し出した鏡にも出会った。
私も忙しさの中で誰かに連絡することがある。
そういう忙しいモードの人同士は、何も問題ないが、時には、大切な時間を自分の為に割いてほしいと思っている人がいることを知った。
人の心は上がったり下がったり。いつも一定で穏やかに過していたいものだ。
今の私は、家族誰一人欠けることがなかったグアムでの日々を思い出すと、ぐぐーと胸が苦しくなり、本当に寂しくなってしまう。今は、ハワイにいるというだけで、前に進んでいるつもり。
夏樹が、「とにかく栄光から栄光の生活をすると、喜びに満ち溢れ落ち込む暇がないよ」って言っていたのを思い出すが、時々、妙に落っこちる。
でも、それも大切。心の寂しい人の気持ちがわかるようになるから。
グアム――。また“時”が来たら、行ってみたい。

飯島寛子

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